海外の紛争・災害などに対して、医師や看護師などの職員を派遣し、国境や宗教、人種を超えて人の命と健康、尊厳を守る活動に取り組んでいます。

悲しみの向こう側 ~南スーダン活動報告~

2022/09/17

2022年5月21日公開の「南スーダン戦傷外科病院での活動」で、派遣先での活動の様子を、ご報告しました。

7月に帰国したので、今回は活動を振り返って、印象的だったことをご紹介します。

 

派遣先病院の病棟の様子(ICRC提供)

 

「今日、僕は自分でいのちを断ちたいと思いました。でも、死ねなかったよ」、そう訴える若い男性患者さんとのかかわりについてお話します。

 

彼は、6ヵ月前、首と背中に銃弾を受け、私たちの病院に搬送されてきました。幸い、命をとりとめることができましたが、重度の脊髄損傷で寝たきりとなりました。背中から腰のあたりにかけて大きな傷があり、その傷の状態もとても悪かったです。

 

派遣先病院の患者移送の様子(ICRC提供)

 

幸い、柔らかい食べ物を食べたり、水分をとったりすることはできましたが、胸から下の痛みや感覚がまったくないため、自分で寝返り、起き上がりもむずかしい状態でした。傷の状態が思わしくないことにも気づいていました。

 

ある時、入院前のことを話してくれました。

彼は母親と弟と一緒にアッパーナイルというところに住んで、牧畜業を営んでいましたが、紛争で村を追われ牛や羊も奪われたそうです。弟は感染症にかかり、すでに亡くなっていました。

 

「何も食べるものが手に入らず、とても苦しい生活を母としてきた」と話してくれました。その母親とも離れ離れに暮らすことになったそうです。彼が最もつらいのは、遠く離れたジュバのこの病院で、このままずっといることだと訴えました。医師は、治療を続けないと、命を落とす危険があることを彼に説明しますが、納得してくれません。

 

「ジュバの食べ物は、嫌い」と、彼は答えます。

私は、「アッパーナイルから来られたのですね。私も、以前そこにいましたよ。牛肉や魚の料理がおいしいよね。豆類の多い病院の食事は嫌なのかな?」と尋ねると、うなずき、「食べる気力がない」とつぶやきました。

 

派遣先病院の前でICRCスタッフと歩く筆者(左端)(ICRC提供)

 

私はチームに戻り、今後、彼に必要と思われることを話し合いました。遠く離れたところにいる母親のことを気にかけているのではないか?というのが皆の意見で、私たちは母親を探してジュバに連れてこようと計画しました。

 

日本のように、携帯電話で連絡することもできません。まず、彼が移り住んだ地域の代表者に連絡をとりました。赤十字のネットワークはすごいです。ついに、母親が見つかり、ジュバで再会を果たしました。とても素敵な笑顔で母親と対面した彼は、少しずつ、前向きに日々のリハビリや栄養改善に取り組めるようになりました。

 

そして、彼と母親と今後のことを話し合いました。彼らの希望は、故郷のアッパーナイルに戻ることでした。治療を中断しなければならないこと、最低限の医療も受けられないところに戻ることも覚悟での決断でした。私たちは、赤十字のアッパーナイル地域事務所や同地域で活動しているNGOと調整を繰り返しました。そして、いよいよ退院の日をむかえることができました。

 

出発の日、彼の母親が用意した服を身に着けた彼は少年のようで、「ピース!」と人差し指と中指を私たちに示し、満面の笑みを浮かべていました。その瞬間、私たちの迷いや不安は消えていったように思います。「いつか、また、会おう」と、そう私は声をかけました。

 

飛行機から望むアフリカの大地(筆者撮影)

 

かかわりを通して思ったことは、彼の悲しみの向こう側には、かなえたい願いがあったということです。それは、その人が自分らしく生きるということでした。

 

 

日本赤十字社和歌山医療センター 国際医療救援部

 

「和歌山から世界へ」では、様々な国際活動をレポートしていきます。出発式のほかにも、現地での活動、帰国報告会、国際人道法や語学・熱帯医学などの研修風景などをお届けします。乞うご期待!

 

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