最新の情報などHotなニュースから気持ちが和らぐほっとする話題まで日赤和歌山からお届けします。
病院では医師、看護師、助産師、薬剤師、臨床検査技師、理学療法士、診療放射線技師、臨床工学技士などいろいろな専門職が集まり、日々の治療を支えています。患者さんの身体も心もケアできるようにと、日々努めている仲間たちを紹介します。
2023/10/25
日赤和歌山医療センターは、和歌山県の総合災害医療センター(災害拠点病院)に指定されており、災害発生時には県下全域をカバーした医療救護を行うことを責務としています。同時に日本赤十字社の国際医療救援拠点病院として、国際救援活動に対応する体制も整えています。日頃から海外でも活動できる職員の育成を行い、日本赤十字社を通じた国際赤十字からの派遣要請に基づいて、人道支援活動に従事しています。
薬剤師の榊本亜澄香さんは企業勤務を経て2011年に中途採用で入職し、日本赤十字社の海外派遣要員に登録。2015年にネパール、2017年バングラデシュ、2021年にはハイチ、2023年シリアと、地震などで被害が発生した国へ出向き、国際救援活動を行ってきました。企業から病院へ転職した経緯や国際救援活動に手を挙げた理由、貴重な現地での経験について話を聞きました。
まず、薬剤師を志した理由と学生時代について教えてください。
生まれは兵庫県神戸市で、父の仕事の都合で1歳から6歳までブラジルで過ごしました。日本に戻って、大学受験が迫った時期に母から「薬剤師になるのはどうか」と勧められて、薬剤師という職業を意識し始めました。将来の夢は色々あったのですが、国家資格を取得して手に職を付けてほしいという母の願いに共感し納得できたので、薬学部へ進学しました。
その頃、薬学部はまだ4年教育でしたが、将来的に6年制になることが決まっていたため、学部卒業後に大学院へ進みました。負けず嫌いなところがあり、後輩と少しでも差がないほうがいいという理由だったのですが、学部とは学ぶ内容にかなり差があるので実際は大変でした。けれど、今も慕う恩師との出会いがあり、その恩師を通して人のネットワークがグンと広がり、充実した時間が過ごせたと思っています。人とのつながりの大切さを教えていただき、今もそのときの気持ちを忘れないようにしています。
卒業後から日赤和歌山へ入職するまでの経歴を教えてください。
大学卒業時は研究や調査に携わりたい気持ちがあり食品業界や化粧品会社への就職を希望しましたが、狭き門で結局就職先が決まらず。そんな折に学部時代から何度か授業でお話を聞いて、物の見方や薬への考え方が素敵だなと思っていた先生にお手紙を差し上げたところ、先生の元で働けるようになりました。ただ、父の病気もあり故郷・神戸へ戻ることになったので、1年で退職。再就職は出身大学の就職課に相談し、支援していただきました。
転職先は新薬開発などを手掛け、系列に保険調剤薬局もある比較的大きな企業でした。様々な部署や店舗への転勤を繰り返しながら目まぐるしく働いていると、当時の職場だった薬局に、病院で薬剤部長を定年まで勤められた方が再雇用されて来られました。度々、話を伺う機会があり、病院の仕事にすごく興味が出ている中で、自分自身が入院することに。そのとき病院薬剤師がより一層身近に感じられて、入院中に「病院薬剤師になろう!」と決意しました。実は、病院で働いたことがない薬剤師だったので点滴や注射の知識が乏しく、それがコンプレックスでした。それから、中途採用の募集をしていた日赤和歌山の試験を受けて、無事に採用いただき、今に至っています。
初めての病院勤務はいかがでしたか?
やはり同じ薬剤師でも、企業と病院では自分に求められるもの、守るべきものが全く違うので、慣れるまでは戸惑いもありました。企業では、売上をよりアップさせることが重要視されていましたが、病院では患者さんの健康を守るために、丁寧で正確な仕事が求められます。
また、薬剤師だけでも約50人いますし、職種が異なる人もたくさん集まる職場ですから、立場も意見もいろいろあるということに気づきました。最初は、自分が組織の中の歯車のように感じることも。
けれど、職場の皆さんに支えていただき、ここまで続けてこられました。今思うのは、意見も正しければ立場を超えて通ることもありますし、知りたいことがあれば「教えてほしい」と声を上げればいいんだと思います。それはそんなに難しくなく、逆に人がたくさんいることは魅力だと思うようになりました。人と人の組み合わせが無限大にある規模の組織ですから、それぞれがよい刺激をし合えば、それだけよい化学反応が生まれます。自分もそうして価値を出していくことを目指して、まずは自分のスキルアップをしようと決めました。
大学を卒業してから10年も経って、病院勤務経験のない私を雇っていただいたこともあり、病院に対して何か貢献できればと考えるようになりました。自分にしかできないことで恩返しをしていきたいと思っています。
さまざまな活動の中で、国際救援活動を選んだきっかけは?
「日赤和歌山ルネサンス」という院内学会みたいな、職員が年に1回臨床研究や業務改善、取り組みなどの発表の場があるんですが、たまたま立ち寄ったブースで赤十字の国際救援の活動や体制を知りました。国際医療救援部長とお話をしていると「興味があるなら、担当職員から話を聞いてみて」と背中を押される形で説明を受けたのですが、頑張れば、私にもできるかなと思いました。それに「まだ、日赤和歌山から海外へ救援に出た薬剤師はいない」と聞いて火がついて。私が経験して帰ってきたら、それは日赤和歌山にとって1つのステップになるかもしれないから「やってみよう」と思いました。
派遣までは自分で語学のレベルを引き上げたり研修に応募して、知識や技術の習得など準備していきます。英語は高い能力が求められるわけではありませんが、できる限り話せたほうがよいですね。他のことにも活きるかもしれませんし。派遣は日本赤十字社の本社が決めます。日赤の医療救援は、災害などが起こったりして医療が行きわたっていない事態での派遣になるので、いつ呼ばれるかは分かりません。日々準備をしておき、自分に声がかかるのを待つことになります。
これまでの海外派遣の経験から、現地で感じたことは?
海外だからといって普段の職場と求められることが変わるかというとそうではありません。ただ、英語でコミュニケーションを取りながら、限られた物資、いつもと違う環境の中で普段と同じパフォーマンスを求められます。そのため、薬剤師としての能力を上げておくことが最重要です。日常業務でできないことは海外に行ってもできません。
常に日常業務の中で自分を磨き、学ぶ姿勢を忘れないこと、柔軟性を持つこと、選択肢をたくさん持っておくことなどが大切だと、派遣を通して改めて感じました。法律や条約についても本を読み、英会話教室に行って会話に親しむ努力もしていますが、それらは薬剤師としての資質の上に重なるものだと思います。
これからも国際救援活動は続けたいですか?
私がこれから派遣されるかどうかわからないですし、後輩にも経験してもらいたいと思っていますが、私に指名いただいたら精一杯のことをしたいと思います。活動中は「日本人は私だけ」というような環境になるなど毎日がチャレンジ続きですが、薬を待つ人たちから「ありがとう!」と言ってもらえたり、私たちが着ている服で「赤十字の人だ」と分かってもらえたりして、赤十字の活動が役立っていることが実感でき、やりがいがあります。世界で知られている赤十字の一員として活動できることを誇りに思っているので、要請があれば自分にできる限りのことはしていきたいです。
それでは最後に、国際救援活動や日赤和歌山に関心のある方々へ向けてメッセージをお願いします。
日赤和歌山も大きい病院ですが、日本赤十字社はとても大きな組織のため、様々なことができるので、自分自身にやる気があれば何でも学べる環境です。ネットワークが広く、同じような考えの人とも出会えます。国際救援の活動を通じて多職種ともつながり、自分の世界も大きく広がったと思います。
飛び込んでいただければ、上司も先輩も、助けてくれる人がたくさんいます。私も一社会人としてしっかり後進を育てていきたいです。環境は整っているので、国際救援以外でも、何かやりたいことがある人は、ぜひ一緒に働きましょう!
人と人とのつながりを体感し、モチベーションを持ってスキルアップされているため、大変充実した時間を過ごされていることが伝わってきました。
続いて、入職2年目の薬剤師で国際救援活動に関心を寄せる田中詩乃(うたの)さんにも話を聞きました。
田中さんはなぜ国際救援活動に興味を持ったのですか?
小さい頃から発展途上国で辛い思いをしている人を救いたいという気持ちがありました。本で読んだりテレビで見て、かっこいいなと感じて。ただ、積極的に国際的な働き方をしたいとは思っていなかったのですが、薬学部に進学したとき、薬剤師なら海外でも役に立てるかもしれない、自分にできることがあるもしれないと、昔の気持ちを思い出しました。それで、海外派遣の実績が多い日赤和歌山へ入職し、国際救援に手を挙げました。
先輩たちは、どのようなサポートをしてくれていますか?
国際救援に対する考え方や対処方法などを教えてくれたり、たくさんアドバイスもくれます。職種や部署が違っても、国際救援というつながりで、すごく親切にしてくださるので、とてもありがたいです。
今後の目標や身に付けていきたいスキルは?
榊本さんも言っていたように、まずは薬剤師として様々な業務を覚えて、仕事量をこなせるようになることを目指します。国際救援ではTOEICである一定レベルを超える必要があるので、英会話も再開したいと思います。病院でもTOEIC試験を受けられるので、先輩が一緒に受けようと誘ってくれて、すごくやる気が出ました。国際救援に携わる様々な人と交流しながら、派遣してもらえる水準に到達できるように頑張っていきたいと思っています。
榊本 亜澄香(さかきもと あすか)
2011年就職、薬剤師(係長)。
シリア派遣以降、ランニングを始めました。新たな趣味になりそうな予感がします。
田中 詩乃(たなか うたの)
2022年就職、薬剤師。
大学時代から硬式テニスをしたり、登山をしたり、就職してからはゴルフを始めるなど、体を動かすことが好きです。2023年の夏、富士山登頂の夢を果たしました。